藤原正彦「日本人の真価」

この人に初めて出逢ったのは遥か昔「若き数学者のアメリカ」を出版した時期だから何十年も前だ。内容はいまは記憶にないが、当時は素敵な青年という印象があった。その後「国家の品格」とか、嫌中・嫌韓の発言が多いと知り、右翼のおじさんだったかと思い直した。

私は、もともと「人は人、我は我」なので、あまり人に羨望を覚えるタチではないが、この人にはなぜかほんの少しの妬みがあった。かっこいい数学者だし、そのくせ文才もあるし、米英で数学で留学・就業の体験があるし、両親は有名作家だし、カミさんはピアノが弾けるし、なんといっても女子大、それもお茶の水の数学教師を長くやってたなんて、許せないじゃないか。私だってフェリスや大妻の教師してみたかった(冗談です)。

そんな妬みはこの本でかなり消えた。母親の藤原ていが作家になったのは、満州からの壮烈な引揚の記録を残そうとして書いた「流れる星は生きている」がベストセラーになったからだ。それを脇で見ていた気象台勤務の夫が俺も書けるはずだとして作家の新田次郎になった・・・と云う経緯を知って両親もなかなか苦労したんだと理解したからだ。それにこの人の日本文化礼賛は、グローバル経済と新自由主義に対する批判とセットになっているから、それなりに筋が通っているとわかったからだ。

しかし、気に入らないところも残る。朝鮮の貧しい人々のかげながらの助けのおかげで生きて戻れたのに、韓国をひどく罵倒しすぎではないか。政治家や富裕層などを罵倒するのはいい、しかし、国全体や人びとを丸ごと罵倒するのは、それこそ品格がない。また国内では、国家の品格や武士道などを訴えているわりに、品格に欠ける政権幹部や都知事や与党政治家に対しての批判を聞いたことがない。新自由主義への批判を盛んに主張しているにもかかわらず、一般論レベルにとどまり、具体的に肝心な相手、たとえば、小泉政権や安倍政権に対する批判も、たとえば、この本にはない。それこそ、ご本人が嫌う卑怯なのではないか。例えば、中国にたいして、「都合の悪い事実を隠蔽し、息を吐くように嘘を吐き」とか、弱小国などに「弱い者いじめを恥ずかし気もなく行っている」と批判するが、「都合の悪い事実を隠蔽し、息を吐くように嘘を吐」いていた安倍晋三氏を批判していた記憶は私にはない。藤原正彦氏こそ強い者に共感しているのではないか。それならネット右翼と変わらない。

彼の品格は、この文章にも現れます。「民主主義、自由、平等よりも武士道精神、とりわけ卑怯を憎む心や惻隠が大切だと「国家の品格」で書いたときは、この本によって筆を断たなければならなくなっても構わないと覚悟を決めることができました」。この発想は、自分たち本当はメジャーなのに、少数派だと勘違いして被害者意識を持つ保守系の人にありがちな傾向です。また、民主主義、自由、平等よりも武士道精神を尊重しているが、自由、平等のない社会では、武士道精神も結局実現されずに、不正・不公正がはびこるのです。自由と平等のない「惻隠」は、ただの奉公や忖度や施しだ。筆者自身、上杉鷹山のような人は例外中の例外だと言っているじゃないですか。そんなこともわからないのなら、氏は、母親は偉かったけれど息子はただのお坊ちゃんだと言われても仕方ないでしょう。




幾つか興味を惹いたことを挙げておきます。

・ 「ケンブリッジ大学と日本の国立大学との公平は相当に異なると言ってよい。別の言い方をすると、日本の入試における公平は「一切の主観を混入させない」であり、ケンブリッジのそれは、「主観を入れることでより妥当な評価をする」である」

・ 「最強力な会議のメンバーのほとんどは、経済人、および新自由主義に染まったアメリカ帰りのエコノミストであった」。 さらに、「ここ二十年間の大きな教育改革のほぼすべては、専門性のある文科省でなく、いわば教育の素人である経済界の提起したものであった」、そこまでわかっているなら、自民党政権をもっと批判しなさいよ。

・ 「日本には世界でも珍しい明確な四季があり、それぞれに特徴的な豊かな植生や花鳥風月があるため、これを鑑賞するようになった。そこに仏教からの無常観が加わり「もののあはれ」にまで高められた」。というが、日本を特別と見なしたい論者は必ず四季を日本の特徴とするが、この緯度の国なら、どこでも四季があるだろうに。どこが珍しいのだろう。積雪の多さか? 梅雨の長さか? 






藤原正彦「日本人の真価」(文春新書 2022.7.20)
まえがき
第一章 ニッポン再生
第二章 「英語教育」が国を滅ぼす
第三章 論理と情緒
第四章 隣国とのつきあい方
第五章 日韓断絶―問われるべき「国家の品格」
第六章 コロナ後の世界
第七章 「日本人の品格」だけが日本を守る
第八章 家族の肖像
第九章 父・新田次郎と母・藤原てい
おわりに ウクライナそして父の手拭い

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