高橋源一郎「間違いだらけの文章教室」

文章「教室」というか、高橋氏の「文章論」であって、しかも、高橋氏だから当然のことに、文章の「技術論」であるはずもなく、どんな思いで書くものなのかを語っているようだ。 少なくとも、「正しい」文章よりも「間違いだらけの」文章の方が面白いはずだ。

従って、当然読み終えても、うまい文章を書くヒントが得られるわけではない。こんな文章があったんだあ・・という驚きがあるだけである。

その筆頭は、小島信夫氏の小説だろう。編集者が手を入れない、素のままの、「死んだ人」の書いた文章で、自由闊達、わけがわからなくても、誰も文句言えない文章。

特殊な状況、体験をした人だけが書けるかにみえて、実は自分の人生に対する深い視線があれば誰にでも書けるはずの、多田富雄氏の文章

ただ、遺書を書くためだけに文字を習った、訥々とした、しかし、強く伝わる木村セン氏の文章

長い話をしない、檀の上から語らない、「大きなもの」を語らない、鶴見俊輔氏の文章

「様々な意匠を凝らそうともせず、ただ見たものを書いた。そこで生きるしかない場所にいて、その場所で見えるものを書いた」、名もなき人の文章

「うつむき加減で、小さい声でしゃべっている」、近づきたくなる、謙虚な、名もなき人の文章


・・・



高橋源一郎「間違いだらけの文章教室」(朝日文庫 2019.4.30)
1 文章は誰のものか? それは、ぼくたちのものだ
2 都会の雑踏を文章と一緒に歩いてみよう
3 おじいちゃんが教えてくれる
4 こんなの書けない
5 スティーブ・ジョブズの驚異の「文章」
6 「ない」ものについて書いてはいけない 「ある」ものについて書かなきゃいけない
7 誰でも知っているもの、誰でも関係のあるもの、誰でも必要としているもの、必要としているどころか、それがなければ生きていけないもの、なのに、あまり「文章」にされることのないもの
8 ぼくたち自身の「物語」
9 2012年の夏に、学生たちと
補講 2018年の冬に学生たちが「吉里吉里国憲法前文」を書く

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック